信用できない語り手ベスト10

「信頼できない語り手(Unreliable narrator)」が登場する小説は、私の大変愛するところなのですが、Henry Suttonという作家が「信用できない語り手ベスト10」を発表しております。

http://www.guardian.co.uk/books/2010/feb/17/henry-sutton-top-10-unreliable-narrators

「20世紀半ば頃、信頼できない語り手に何かが起こった。彼らは以前にも増して信頼できなくなり、狡猾になったのだ。19世紀後半の信頼できない語り手たちは、何か隠したいことがあったり、真実を知らずにいたりといった具合に、ある種の精神的弱さを表わすものだった。ところがモダニズムからポストモダニズムへと文学の潮流が移っていくにつれ、われわれはずっとシニカルになり、語り手には複雑さが求められるようになった。信頼できなさは、悪意の表れとみなされるようになり、二重性(双子?)、錯覚、時には狂気の表れともなった。」

1 『ロリータ』(1955) ウラディーミル・ナボコフ
2 『ねじの回転』(1898) ヘンリー・ジェイムズ
3 『闇の奥』(1902) ジョセフ・コンラッド
4 "Money"(1984) マーティン・エイミス
5 『アメリカン・サイコ』(1991) ブレット・イーストン・エリス
6 『内なる殺人者』(1952) ジム・トンプソン
7 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(1951) J.D.サリンジャー
8 『わたしがアリスを殺した理由』(1996) A・M・ホームズ
9 "We Need to Talk About Kevin by Lionel Shriver" (2003) Lionel Shriver
10 『ハックルベリー・フィンの冒険』(1884) マーク・トゥエイン

いささか古典/文学に偏りすぎで、少々面白みがないリストです。アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』やウィリアム・フォークナーの『響きと怒り』をはずしておいて、サリンジャーやトゥエインを入れるのはどうかなぁ。
「信頼できない語り」が登場する面白い小説をいくつか挙げてみようと思いますが、こういう小説の面白みは語り手が信頼できないということに読者が途中で気づくという点にあるわけで、「信頼できない語り手」小説ファンの人は読まない方がいいかも知れません(笑)。

・『青白い炎』ウラディーミル・ナボコフ
・『ポップ1280』ジム・トンプソン
・『蜘蛛女のキス』マニュエル・プイグ
・『悪童日記アゴタ・クリストフ
・『飛蝗の農場』ジェレミー・ドロンフィールド
・『蜂工場』イアン・バンクス
・『エンジン・サマー』ジョン・クロウリー
・『ケルベロス第五の首』ジーン・ウルフ
・『日の名残りカズオ・イシグロ
・『閉じた本』ギルバート・アデア
・『堕ちる天使』ウィリアム・ヒョーツバーグ
等々。
思いついたら追加することにします。
ナボコフにしろイシグロにしろウルフにしろアデアにしろ、こういう手法を使う作家は、たいてい他の作品でも信頼できない語り手を登場させてるものなので、みなさん探してみてください。