『いまを生きる』を読んで

ご無沙汰しております。
今月に入って酒を控えるようにしてるんですが、どうも家に帰っても気分が切り替わらなくてブログを書く気になれません。そろそろ復活しよっかなっと。

こないだ久々に古本屋に行って文庫本をまとめ買いしたので、ただいま消化中。とりあえず感想などぼちぼちと。

『いまを生きる』の原題は"Dead Poet Society"。今は亡き洋販のTOEICレベル別セレクションに入っていたために、洋書屋では定番商品でした。読んでからわかったんですが、これ小説が原作じゃなかったのね。日本語版ウィキペディアには『ナンシー・H・クラインバウム原作の小説』と書いてあるけど、大嘘じゃん。トム・シュルマンが書いた映画の脚本がオリジナルで、クラインバウムはノヴェライズしただけでした。映画のノヴェライズ読んだのなんていつ以来だろう。生涯に3冊目で10年ぶりぐらいかも知れない。

映画の予告編を見た印象だと、ロビン・ウィリアム演じる熱血教師が主役で、『チップス先生さようなら』とか『陽のあたる教室』(これが泣けるんだよ)みたいな話なのかと思ってましたが、意外にも生徒側がメイン。1950年代の名門プレップスクールという超お堅いお坊ちゃま学校の生徒6、7人が、型破りな国語教師による詩の授業によって「生きる」ことの意味を学ぶというのが大筋。ノヴェライズだけに人物の肉づけが弱いし、キーティング先生の授業も断片的で物足りないんだけど、まぁこれはこれでありじゃないかと。

むしろ気になったのは川本三郎氏による解説のほう。キーティング先生の授業を自分勝手なものと批判し、生徒の方が犠牲になったかのような書き方をされてるんだけど、それは違うんじゃないかな。確かに実際にこんな教師が自分の担任だったら迷惑だろうってのはあるけど、映画の趣旨はそこにはないでしょう。ラストシーンで、本来なら謝るべき立場のキーティング先生の代わりに、生徒の方が謝るから感動的なのだという解説にはまったく同意できません。いや、解釈としてそういう考えもありとは思うんだけど、映画のノヴェライズの解説として書くべきことなんでしょうか。映画終盤の重要なネタバレを平気で書いてあることも含めて、この解説は如何なものかと思いました。どうせなら、映画の背景にある超絶主義(transcendentalism)について解説してもらいたかったです。

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