『チャタレイ夫人の恋人』に苦戦中

今までD・H・ロレンスの小説を一篇たりとも読んだことがないので、ジェフ・ダイヤーの"Out of Sheer Rage: In the Shadow of D.H.Lawrence"を読む前に、『チャタレイ夫人の恋人』を読むことにしました。伊藤整訳で。

3分の2ぐらいまで来ましたが、正直キツイです。猥褻か否か云々は今更どうでもいいことだし、性の問題に初めて正面から取り組んだという功績は認めますが、今の時点で純粋に小説として読むにあたっては参考程度に留めておくべきことでしょう。で、小説として見た場合、どうなんでしょう、私には読みどころがわかりません。会話は間違っても上手いとは言えないし、登場人物には魅力が感じられない。男たちは突然のように文明批判、社会批判を滔々とまくしたてて小説の流れを止めてしまう。語りは昔ながらの三人称で、全知の作者が登場人物の肩ごしに「彼は○○だと思われていが、実は××なのである。」とめまぐるしく説明してまわっている。「視点人物」といった概念がなかったのかしらん。訳文は全般に堅苦しすぎるような印象を受けますが、方言の部分をまったく普通の会話文の如くに訳しているのは如何なもんでしょう。階級の存在を端的に明示する部分でもあり、メラーズが性交の場面でわざと方言で話したりするように、男女関係の政治性にも通じる重要な要素だと思われるんですが。

ほぼ同時期に書かれているヴァージニア・ウルフの『燈台へ』や、同時代の貴族社会を描いたイヴリン・ウォーの『ブライトヘッズふたたび』などに較べてもかなり古臭い作品のように感じるのですが、何かとんでもなく間違った読み方をしてるんでしょうか。ちょっと不安になってきちゃった。

一応、ジョイスの『ユリシーズ』と並んでイギリスの20世紀を代表する小説とか言われてたんだよね。