Fugue State 読書中

Evensonの"Fugue State"をポツポツと読書中。

確かに尋常ではない短編集。普通の意味でのオチがない話も多い。にも関わらず異様な迫力がある。

登場人物の多くは物事に感じすぎたり、強迫観念に取り付かれていたり、現実と妄想の境界がわからなくなった人ばかり。登場人物の一人は、父親が精神病院に収容され、母親が自殺したという過去を持つがゆえに自分も同じ運命をたどるのではないかと恐怖している(she was terrified of ending up mad or dead)のだが、本書に出てくるのは程度の差はあれいずれもmadとdeadの境を彷徨う者たちである。

人体損壊へのオブセッション、とりわけ死に際して顔が変貌してしまうことへの執着/恐怖が強烈で、作品の枠を超えて繰り返し現われてくるのがゾクリとくる。このニューロティックな感じはジョナサン・レサムも言うようにクーヴァーやバーセルミというよりは、ポーに近いかな。もっと他に似てる作家がいるような気がするんだけど、思いつかない。

[追記]
本書で一番長い(といっても30ページ)表題作「Fugue State」を読む。こ、これは……傑作かもしれない。この作品を捧げられているClaroってのはフランスの翻訳家Christophe Claroのことで、ピンチョン、ヴォルマン、バース、ギャス、アッカー、ダニエレヴスキー、デニス・ジョンソンなどを訳しているトンデモない人。恥ずかしながら私まったく存知あげませんでした。この人が書いた小説をEvensonが英語に訳していて、そのタイトルが"Electric Flesh"というんだけれど、これがまたトンデモなく面白そうで参った。若き日のフーディニーと、電気椅子の発明に取り組んでいるエジソンと、フーディニーの孫の話が三つ同時進行になってるみたい。

Electric Flesh

Electric Flesh